2012年8月24日(金)、アートイベント「代官山アートストリート」でヨウジヤマモト デザイナーの山本耀司とミュージシャン・アーティストの高橋幸宏(YMO)によるトークショーが開催された.MCはリリー・フランキー.“常識を問う、ということ”をテーマに、ファッションの世界に新しい価値観をもたらしてきた山本と、革新的な音楽を生み出してきた高橋から、ふたりがどのように時代を歩んできたのか、そして現代の若者達への想いが語られた.以下、山本耀司 - 山本、高橋幸宏 - 高橋、リリー・フランキー - リリー■まずはふたりの長いつきあいについてリリー:おふたりの付き合いは長いんですか?高橋:一時兄弟だったほどのこともありましたからね.30年、いやもっと前からかな.僕がデザイナーだったころ、服を買いに来てくれてたんです.ヨウジさんのこと元々顔は知ってたんですが、ある日ヨウジさんが突然、なんか僕の着るものないかなってアトリエにきて.僕は当時のファッショントレンドと違うようなことをしていて、例えば20代なのに生意気にもカール・ラガーフェルドが好きだったり、そんなところが気に入ってくれて、(僕の服を)着てくれてたいうのが最初ですね.それから会うことがなくなったんですが、あるとき西麻布のバーでヨウジさんを見かけて、挨拶しに行ったんです.そしたら、「幸宏、今度のパリコレで音楽やってくれない?全部オリジナルで.」って言われて.その後パリコレを5、6年やらしていただきまして、その後レコード会社一緒に立ち上げたりしました.山本:YMOの最初のアルバムが出た当時、青山の骨董通りにレコード店があって、そこに入ったら聴いたことない音楽がかかってたんです.なにこれ!すげえなって思ったんですけど、それがYMOだったんです.高橋:ヨウジさんと兄弟みたいだった時があったんですけど、その時のヨウジさんより今の方がよりヨウジさんなんですよね、雰囲気が.今の方が本質がバリバリに出てる.全身から山本耀司っていう感じが.あの頃はファッションデザイナーのヨウジヤマモトって感じだった.■パリの話高橋:ヨウジさんって、奨学金でパリに行ったんですよね.パリって魅力的ではあるけど決して居心地が良いところではないんです.でもヨウジさんにとってはよかったんだ、それがうらやましい.山本:今でも東京の方が居心地悪いです.俺パリの左岸が好きなんだよね、サンジェルマンデプレとか.20代の頃からそうで、今もそっちに住んでいるんですけど行く店も全部知り合いで、薬屋に薬買にいっても「ショー終わったの?」とか聞かれる.そういう仲間がいる感じが、楽なんですよ.それにパリはダウンタウン多いし.最近東京はみんな都市開発しちゃって、ダウンタウン作らないから嫌いなの.全部きれいにしちゃう.リリー:女性もパリの方がいいですか?山本:ダメなんですよ、怖くて.俺は東洋人じゃないとダメなんです.高橋:でもムーランルージュ通ってたんでしょ?山本:それは娼婦の人が飯食わしてくれてたから.高橋:前途洋々な若者がパリで奨学金で行って、挫折なんてないでしょ.山本:挫折しましたよ.大学卒業して、文化服装学院に行って、でも俺が勉強したのはオートクチュールだったの、最後のオートクチュール.パリでは、イヴ・サンローランがクリスチャン・ディオールから独立して既製服(プレタポルテ)始めたばかりだった....